来世でがんばる。

今世の吐き溜め

彼氏とは!?

9回目。

 

ハ  ッ  ピ  ー  天  皇  誕  生  日

 

バカヤロー。ブログのことめちゃくちゃ忘れてたわ、もう12月ですけれども!!?

ていうか年の瀬ですけれども!!

 

ココ最近の朗報といえば、最近友達に彼氏が出来た。

すごく幸せそうで、もうすぐクリスマスだし、2人は一緒に過ごすのかな、とか考えて、そんでふと自分を見て

 

あ〜〜〜1人じゃん 今年も。彼氏なんか出来ないじゃん。

 

と思うのがもうクリスマス前の恒例みたいになってきた。

 

まあね、冷静になってよくよく考えてみるとね、あんまり要らないんだけど、彼氏。

 

私は私とのおしゃべりが大好きだし、友達ときゃいきゃい遊ぶのも楽しいし、趣味が楽しすぎて忙しいし、沢山寝たいし、正直一人でいて退屈する時間ってあんまりない。

 

でも、ふとした瞬間、何か嬉しいことがあった時、美味しいものと出会ったとき、それを報告したい!共有したい!と思える相手がいないのは少しさみしいとはおもう。

 

それに、私が体験したことがないから分からないだけで、本当に好きな人と彼氏彼女になったら、睡眠も趣味も全部投げ捨てていいくらい幸せな日々が待っているのかもしれない。その辺はちょっと興味がある。

 

しかし、男性と話すと、「自分は男性に媚びを売るような話し方をしていないか」とか「相手からしたら気持ち悪いのではないか」といったふうに、変に自己嫌悪が募るので、趣味や睡眠時間と引き換えに、悩みの種を増やしてまで、恋愛をしたいとはどうしても思えない。

 

そう。拗らせてるのです。

 

彼氏別にいらんわ〜趣味楽しいわ〜とか、多分ダメなんだろうな??今はいいけどこれから10何年先に果たしてそれでいいのか?ってみんな言うもん。多分ダメなんだろうね????

 

というか、友達が幸せそうだと、いいな〜私も欲しいな〜と思うんだけど、いざ、はい!紹介してあげます!となると途端に怖気付いて何も出来なくなるんだな、なんなんだ。お前。どっちなんだ。

 

欲しいけど欲しくないんだ、彼氏。

 

いやいや、彼氏は人間でモノではないというのは分かっている、のですが。

そう簡単に粘土のように作れるものではないということもわかってるのですが!

 

そもそも喪女すぎて恋愛のレの字も体験せぬまますくすく成長してしまったので、もう何一つわからない。

話し方がまずわからないし、立ち振る舞いもどういう態度を取ればいいのかもわからない、LINEの仕方もわからない。

誰かいちから私に教えてくれ。恋愛云々の前に他者とのコミュニケーションの取り方を教えてくれ。

なんか前も似たような事書いたような気がするんだけどもう覚えてないのでこのままいきます!

 

はあ、平成最後のクリスマスイブイブ、日本の怪事件についてのWikipedia読んでたら終わりそうです。神隠しってこわいよ。

 

来年は彼氏出来てるといいです。

ちょっと今から錬金術について勉強しようと思います。

終わります。

 

キラキラと炭くずの話

8回目。


気づいたら怒涛の7月が終わっていた。
平成最後の7月なのにあらゆることに忙殺されてしまった。かわいそうに。安らかに成仏してくれ。

 

7月、あまりに忙しすぎた。


終わってしまうと一種の燃え尽き症候群みたいなものがやって来て、8月に入って冷凍みかんのアイスを食べながらぼんやりしてたらもう2週間たった。
時の流れが無情すぎて涙出そう。
毎回これ書いてる気がする。
ブログを書く度に無情扱いされる時の流れ、かわいそすぎる。やめないけど。

 

詳細は伏せるけど、この数年、ひとつの目標のために、それなりに努力をしてきた。
6、7月はその一環として、実際にそんな世界を覗いてみよう的な時期だった。

 

楽しみはあった。収穫もあった。

 

でも、それ以上に、失望というか、諦めというか、そういうモヤっとしたものが溜まったのも事実だった。


実際に踏み込んだ現実は全然綺麗じゃなくて、自分一人の力じゃどうにもならないくらい澱んでいて、これを一生やるのかと思うと、上手く言い表せないけど、夕飯にそこそこ苦手なものが出た時のような気持ちになった。
モヤッ。

 

手元にあると思っていたキラキラしたものがだんだん色あせてくすんでいくような、なんかそんな感じ(てきとう)

 

ただ、ああしたらいいとか、自分ならこうするとか、きっとたぶん、若さゆえの跳ね返りみたいなのも一緒にうまれて、そういった色褪せやくすみに必死に抗おうとしていた。

ちゃんと若気は至れてた模様。

 

実際、現場に出たら、現実に打ちひしがれて、辛うじてあるキラキラの残渣さえも真っ黒なの炭くずみたいになるのかもしれない。

このモヤッを飲み込んで諦めてみんな大人になるんだろうか…。
数年後には、今の自分を嘲笑いながら、ボロボロの炭くずに見慣れて「あの時は若かったわ〜」とか言ってるんだろうか。

 

それはちょっと悲しい。
向上心は忘れずにいたい。
自分は自分の手の届く範囲でできるだけ努力したいし、キラキラはキラキラのままずっと持ってたい。

 

と、今のところは思っている。数年後は知らない。
綺麗事ばっか言っていつかボキッて折れそう。


とりあえず、自分もああなるかもと覚悟はしつつ…。

まあ何とかなるかな〜とか、かる〜い気持ちで冷凍みかんのアイスを食べている…。そんな夜です。

因果応報の話。

7回目。
例によって例のごとく、ブログの存在をすっかり忘れていた訳だが、今朝、ブログを更新する夢を見た。


なるほど深層心理には、更新せねばならぬという義務感みたいなものが根付いてしまってるのかもしれない。


義務感も何も、趣味の範疇なのでたとえ半年更新しなくっても、なんならもう金輪際このままやらなくっても構わないんだけど。

 

 

さて、今日は起きてから、因果応報についてぼんやり考えていた。
もう昼。よく寝た。

 

話を戻すと。
新聞をとっておらず、情報が多すぎる朝のニュース番組も苦手な私は、もっぱらSNSから世の中の情報を仕入れている。


SNSでは、世の中の事件やニュースについて、毎日白熱した議論が交わされ、世を憂い、日本の将来を不安に思う言葉が拡散されている。

 

見ている幅が狭いことはわかってて、実際スマホから顔をあげると、誰も何も不安がっていないし、猫はかわいいし、世界は平和なもんだ。

 

将来が不安といっても、当事者意識はなかなか低くて、じゃあなにか活動を起こそうとか、デモみたいなのに参加しようとか、そういう気持ちは微塵もない。

 

そんなことよりも、今残ってる冷蔵庫の中身をいかにして美味しく処分しようか考える方が重大タスクである。

 

日本がおそらく衰退して行っているのを、スマートフォン越しにぼんやり見ている。 


山積みになった様々な問題を横目に見つつ、へえそうなんだと今日の夜ご飯のことを考えている。

 

多分、ダメなんだろうな〜。
このままだと、なにか大変なことになりそうな気がするな〜。
とか思って、思うだけ。

 

きっとこれが10年、20年して、放っておいた報いがめぐりめぐって回ってくるんだろうと思う。


全ての人に降りかかる報い、人間一人の力ではもはやどうしようもないような大きさのやつが。

 

まさに因果応報。

 

我々は気づかないうちに、ゆっくり地獄に落ちてるのかもしれない。

 

色々考えすぎて疲れてきた、また少し眠ろうと思います。
あまり長生きはしたくないです。
終わります。

時の流れと友だちの話。

6回目。

気温の変動が激しい今日この頃。
上着もクローゼットを出たり入ったり大忙しである。


暑いのは嫌いだけど、寒いのも嫌いなので

ぜひともどうか、地球さんには、ほんのりいい感じのラインを保ってほしいものである。

 

 

この間、久しぶりに友達に会った。

 

卒業してからそれきりで、遠くへ引っ越すというので、それならば最後に一緒に遊んでおこうと食事に誘った。

久しぶりに会った彼女は、学生時代に比べると、髪の色やファッションが少しだけ派手になってたくらいで、当たり前だけど顔は全然変わっていなかった。

 

なんだか懐かしくなって、たくさん話した。

 

私の近況、新しく出来た面白い友達のこと、好きなアーティストのこと。

私がたくさん話した分だけ、彼女も言葉を返してくれた。

初めのうちはなんとも思わなかったんだけど、途中から、あれ、と違和感を感じるようになった。

 

あれ、こんな子だったっけ。

 

記憶の中の彼女は優しくて、いつも誰かを気遣い、私が髪をアレンジする度に褒めてくれた。

 

目の前の、記憶と変わらぬ笑顔の彼女の口から飛び出してくるのは、誰かをひどく貶すような言葉だった。

 

仲違いした訳の分からない友達を糾弾したら泣かれてほとほと困ったのだとか、

私が昔仲良くしていた友達は性格が悪いから、縁を切って正解だったとか、そういった内容だったと思う。

 

そういう話を、彼女は笑いながら、楽しそうに、話すのだ。

 

こういう話を、喜ぶ人のそばに、いつもいるのかな、と思った。

話を聞く限り、彼女が仲違いした友達の言い分は分からなくもないし、私の昔の友達とは、それなりにいい時間を過ごせていたと思う。

 

久しぶりに会ったから、私が忘れているだけだろうか、

この子の話し方は、こんなものだっただろうか

湧いた違和感の正体を掴めないまま、彼女との時間を過ごした。

 

そして、帰り際に彼女が、私の髪をひと撫でして、ニッコリ笑いながらひとこと。

 

 

「髪、変だよ、前の方が良かった!」

 

 

ああ、時が経ったんだと、そこでようやく納得した。

もう何もかも昔のままではない。

もう、彼女は手放しに私の髪型を褒めたりしない。

 

あの日に会うまでに彼女の過ごした時間を、私は知らないし、私の過ごした時間も、彼女は知らないんだと思うと、悲しくなった。

その過ごした時間の中で、彼女はいろんな人と出会って、変わったんだなあと漠然と思った。

 

おとなになるってこういうことかあ。

いまの髪型、気に入ってるのになあ。

 

 

多分もう、会わないだろうなと思う。

 

 

変わるのと、変わらないのとでは、一体どちらがいいんだろうなあと

そんなことを考えた日だった。

 

何が言いたいかって言うと、きっと記憶は美化されるし、時の流れは無情だなあということです。

 

何はともあれ、食べたオムライスは美味しかったので良しとします。

遠くの地でも頑張って欲しいです。終わります。

 

 

楽しいお出かけとヒールの話。

5回目。

気を抜くと忘れてしまっている我がブログ、存在感が薄すぎる。もっと自己主張してほしい(?)

 

ゴールデンウィークは寝たり、猫を吸ったり、寝たり、SNS覗きババアになって輝き溢れる投稿に目を潰されたり、寝たり、調子に乗って高いヒールを履いて出かけて、街のベンチからうごけなくなったりした。

もうよく覚えてないです(ほろり)

 

ヒールといえば、わたしは足の大きさの割に横幅が狭いので、からだを支える面積も狭く、ちょっとオシャレなヒールのある靴を履くと、すぐに痛みで歩けなくなってしまう。

 

単に靴ズレをするとかじゃなくて、単に足の裏やつま先が痛い。めちゃくちゃ痛い。扁平足なのかな。

 

ヒールでダンスを踊ったり、長距離を歩いたり、走ったり、戦ったりなんたりしてる人を見ると、バケモノをみるような目で見てしまう。

 

足の裏が鋼鉄で出来ているんじゃなかろうか。

私なんてものの数十分でリタイアしてしまうというのに。素晴らしい。ぜひ今後とも頑張ってほしい。

 

まあ、ちょっと足が痛いからといって、楽しいお出かけ、ヒールを履かないわけにはいかない。

 

少し高さのある靴を履くと、鏡で見た時の印象がだいぶ変わる。

裸足の時の印象はイマイチでも、ヒールを履くとバランスが良くなる。つまりは足が短いってことだ。日本人の運命ってことだ。

 

……それはそれとして。

多少なりとも見目が整うと、自分に少しだけ自信が持てる。

かわいい服を着て、髪を整え、すてきなバッグを持ち、好きな香水をつけて、お気に入りの靴で出かければ気持ちも晴れやかである。たとえその後街のベンチから動けなくなったとしても。

 

常に2ミリくらい浮きたい。ネコ型ロボットみたいに。

 

扁平足かもと思って、調べた先のストレッチをしたら足の裏がつったのでもう寝ます。

わたしはスニーカーが大好きです。

 

怠惰な休日。

 

4回目。

怒涛の週末だった。その反動でめちゃくちゃ寝ている。

睡眠って最高。

たくさん寝て気分がいいので頭に浮かんだことをつらりつらりと書いていこうと思う。

テーマは特になし。ごちゃまぜ。

 

高校を卒業してから、時の流れがめちゃくちゃに早くなる。

瞬きしたら1週間が終わる。

光陰矢の如し。

高校の時は「へぇ」くらいにしか思ってなかったのに、今になるとわかる。

先人の言葉、的を得ている。

 

ただ、時の流れが速くなったからといって、同じような速さで成長できてるわけもなく。

 

なんか心がイマイチ大人になり切れてないまま、ぼんやりと生きてる。

平日はルーチンワーク。家に帰った途端に体力が底をついて寝る。

週末はともだちと食べて飲んでワイワイやってそれで家に帰って寝る。

休日は昼まで寝る。昼からも寝る。起きるのが夜。めちゃくちゃな怠惰。

 

でもまぁ 一応これでも何とかなってはいる。

生きられてる。ほぼ寝てるけど。

 

こころが大人になってなくても、生きていける。

こころに残ってる幼稚でコドモな部分をみんなどうやって克服してるのかが謎。

 

克服出来ないままコドモの私の手を引いて 一緒に歩くしかないのかな ウーン 難しいね。

 

コドモに引っ張られ、振り回されっぱなし。コントロールできる日は果たしてくるのか。

 

とりあえず今はコドモの部分とも仲良くやっていこうと思う。

ヨシヨシ。

ちょっと落ち着け。

 

これでいいかは知らない。きっと未来になったらわかるとおもう。しらんけど。

 

睡眠大好きなわたしだけど、ひとつだけちょっぴり困ることがある。

寝たら前の日のことをほぼ忘れてしまうこと。

 

楽しかったこと、大変だったこと、面白かった映画、美味しかった食事。

 

直後に感情をメモしておかないと、ひと睡眠明けたあと、全てモヤがかかったようになってしまう。

 

写真や音声があればまだ、ヒントとして活躍してくれて思い出しやすいんだけど、ない時は、残念賞というやつだ。

 

無念。楽しかったのに。

 

日々何かしらにワクワクしてるはずなのに覚えていない。

これが日常を呆気なく感じてしまう理由だろうか。

 

寝たら忘れてしまう。これ、ちょっともったいない。

 

でも寝るのはやめられない。

休日、気が済むまでベッドで横になっているのは、何にも代え難い幸福である。

 

大型連休の初日、どこかに遊びに行くのもいいけど、今はぐうたら、このままぬるい毛布の中にいたい。

 

大絶賛モラトリアム。

 

今しか出来ないことだ。

たぶん。

未来のことは知らんけど。

 

私は私なりにこの怠惰な休日を大切に楽しみたいと思う。ていうか眠い。

 

締め方が分からない。ドン。はい。おわり。

 

以上、ダラダラな文章をダラダラなベッドの上からお届けしました。

お腹がすいてきましたから、なにかしら食べようと思います。それでは。

 

 

ブログタイトルの由来

三回目。

日常にネタがなく、特に書くこともないという悲しい事実に気づいてしまったので、適当に見つけたお題について勝手に掘り下げていこうと思う。

 

きょうはブログのタイトルについて。

中学生の時に某ブログサイトで、スキンを選ぶのに一時間かけたわたしが、このタイトルだけはすらりと決めることが出来た。

どうしてこんなにクズみたいなタイトルにしたのかをだらだら書いていく。

 

さて、ひとにはどうしても、できないことがある。

 

SNSに充実した生活をアップするのが当たり前になった昨今、わたしには、かつてのクラスメイトを友人を探して、SNSをのぞき見るというなんとも気持ち悪い趣味ができた。(わたしはこの行為を潜水と呼んでいる)

 

恋人とのツーショット、お高いホテルの夜景、おいしそうな食事、楽しそうな旅行先。

 

深く潜り込んでそんなものを見ていると、同じ年数を生きていて、どうしてこうも違いが出てくるのだろうと卑屈が止まらなくなる。

気分が底の底まで落ちて、文字通り浮上できなくなる。息ができない。

 

もちろん、楽しそうな写真をアップしている彼彼女にも、人並みの悩みがあるのだと思う。

大変なことを乗り越えて、その中で、日常の最高の瞬間を切り取ったお写真を長ったらしいタグと一緒に投稿しているのだと思う。

 

それでも!

気分が沈むもんは沈む!

自分の手の中にやつらが持ってる色々なもののかけらもないことに落ち込む!

そんなときにわたしが救われたのが来世の存在。

もし生まれ変わったら。もっとずっと素晴らしい条件のもとにすくすく育ち。

きっと今、できないことができる。

だから他人を羨ましがることなんてなんにもない。

いまできないことは、来世でなんだってできるのだ!

 

ひとにはどうしてもできないことがある。

それこそ様々な事情があって、やりたいこと、なりたいものがかなわないときがある。

そんな時に!

できていないことばっかりで、取りこぼしの多い人生だと悩むときに!

お得なのがこの来世というシステムである!

わたしは、できっこないのに、完璧を目指すたちで、いつも理想と、それに伴わない現実とに板挟みになって、ウンウン呻いている。

つらくてつらくてたまらない時に、ふと来世に想いをはせると、来世はわたしの心を救ってくれる。

ビバ!来世!

転生がどうのとか、仏教のなんとかがどうとか、あんまり詳しくないのでわかんないけど、とりあえず、想像するだけタダ!コスパも最高!

 

ということで、来世に過度な期待を抱きつつ、ところどころで来世でやることの先取りをしつつ、わたしは今を生きているというわけである。

今世は来世への布石。

なのでがんばりすぎることもないし、完璧である必要もないのだ。

そしてそういう意味の分からん最大の逃げ道が、このブログのタイトルというわけ。

 

これがわたしなりに楽に生きるライフハックである。これでいいのだ。

ああもっともっと楽しながら生きたいです。だれかどうにかしてください。