来世でがんばる。

今世の吐き溜め

ブログタイトルの由来

三回目。

日常にネタがなく、特に書くこともないという悲しい事実に気づいてしまったので、適当に見つけたお題について勝手に掘り下げていこうと思う。

 

きょうはブログのタイトルについて。

中学生の時に某ブログサイトで、スキンを選ぶのに一時間かけたわたしが、このタイトルだけはすらりと決めることが出来た。

どうしてこんなにクズみたいなタイトルにしたのかをだらだら書いていく。

 

さて、ひとにはどうしても、できないことがある。

 

SNSに充実した生活をアップするのが当たり前になった昨今、わたしには、かつてのクラスメイトを友人を探して、SNSをのぞき見るというなんとも気持ち悪い趣味ができた。(わたしはこの行為を潜水と呼んでいる)

 

恋人とのツーショット、お高いホテルの夜景、おいしそうな食事、楽しそうな旅行先。

 

深く潜り込んでそんなものを見ていると、同じ年数を生きていて、どうしてこうも違いが出てくるのだろうと卑屈が止まらなくなる。

気分が底の底まで落ちて、文字通り浮上できなくなる。息ができない。

 

もちろん、楽しそうな写真をアップしている彼彼女にも、人並みの悩みがあるのだと思う。

大変なことを乗り越えて、その中で、日常の最高の瞬間を切り取ったお写真を長ったらしいタグと一緒に投稿しているのだと思う。

 

それでも!

気分が沈むもんは沈む!

自分の手の中にやつらが持ってる色々なもののかけらもないことに落ち込む!

そんなときにわたしが救われたのが来世の存在。

もし生まれ変わったら。もっとずっと素晴らしい条件のもとにすくすく育ち。

きっと今、できないことができる。

だから他人を羨ましがることなんてなんにもない。

いまできないことは、来世でなんだってできるのだ!

 

ひとにはどうしてもできないことがある。

それこそ様々な事情があって、やりたいこと、なりたいものがかなわないときがある。

そんな時に!

できていないことばっかりで、取りこぼしの多い人生だと悩むときに!

お得なのがこの来世というシステムである!

わたしは、できっこないのに、完璧を目指すたちで、いつも理想と、それに伴わない現実とに板挟みになって、ウンウン呻いている。

つらくてつらくてたまらない時に、ふと来世に想いをはせると、来世はわたしの心を救ってくれる。

ビバ!来世!

転生がどうのとか、仏教のなんとかがどうとか、あんまり詳しくないのでわかんないけど、とりあえず、想像するだけタダ!コスパも最高!

 

ということで、来世に過度な期待を抱きつつ、ところどころで来世でやることの先取りをしつつ、わたしは今を生きているというわけである。

今世は来世への布石。

なのでがんばりすぎることもないし、完璧である必要もないのだ。

そしてそういう意味の分からん最大の逃げ道が、このブログのタイトルというわけ。

 

これがわたしなりに楽に生きるライフハックである。これでいいのだ。

ああもっともっと楽しながら生きたいです。だれかどうにかしてください。